老いとロックと友だちと

ゆうがたフレンド

ゆうがたフレンド

 
自分が鬱屈した少年だった頃、信じられる大人は、親や先生ではなく「ロック」を歌うオジサンたちだった。
そして、自分がオジサンになった今、「ロック」なオジサンたちは「死」を意識し出している。
「ゆうがたフレンド(公園にて)」で歌われるのは、そんなオジサン同士の友情だ。
「♪葬式まで たぶん来てくれる」と云う詩は本当に切実だ。
自分が死ぬ時、葬式に来てくれる友人はいるだろうか。
これまでの人生で疎遠になってしまった友人たちの事を思い出す。
葬式に来てくれる友人がいるかいないかで人生の価値が決まるワケではないが、これからの人生、人に対して優しく、誠実でありたいと思う。
 
余談だが、「ゆうがたフレンド(公園にて)」に出てくる公園は池のある公園。
私は井の頭公園を思い出す。
昔、カミさんが井の頭公園の近くに住んでいて、よく行った。
青春の思い出ってヤツかなぁ。
 
(「ゆうがたフレンド(公園にて)」を作詞した糸井さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」にて、この曲が試聴出来ます。
 http://www.1101.com/friend/